> 評価基準が増えること自体は問題ないような気もするけど、
> 「積極性」「発想の自由さ」なんてことを今さら持ち出さなければ
> 子供達を受け入れられない「先生」って一体????
自分が先生になったとおもってください。
「みんなから好かれていて、授業を静かに聞いていて、宿題を毎日
ちゃんとやってきて、テストすると良い点数とる子」
「宿題は出される前に終わらせてしまって、そんでもって授業を
聞いてないでお喋りばっかり。でもテストすると良い点数とる子」
かなり極端な例ですが、こんな二人がクラスにいたとき、より良い子らしい
とおもうのはどちらですか?
後者の子供を、「授業がはじまる前に予習して、ちゃんと勉強するなんて
えらい。先生の話なんて聞かなくてももうわかっているのね。よい子ね。」
だから無条件にほめてあげよう、なんて思った人いますか?
番組はこうまとめていました。
「自分が先生に(ほかの子供より)好かれていない」と子供が思ったとき、
子供は先生を(以前よりは)尊重しなくなります。そうして、その子供が、
やんちゃで力も強い子供だったりすると、まわりの子供を巻き込んで、
先生と対立、最後は学級崩壊へと向うんじゃないか....。」
こんな学級崩壊が小学校の低学年にまであるそうです。ベテランの先生でも
関係ないそうです。
すべての子供をよい子とみなすことができる先生なら問題がおきないでしょ
うけど、それほど余裕のある先生は少ないんじゃないかな。
# これでつたわるかなあ...。
*
会社には「稼ぐ」という、資本主義社会では不変不動の評価軸があります。
で、評価もされるし給料もかわる。
でも、別の社会では違うかもしれない。
# 旧ソ連の共産党エリートとか。
別の評価軸を合わせもつ、ということでなく、これまでもっていたどの評価
軸にもあわない人が現れたとき、そんな人が評価される社会になったとき、は
たして自分が対処できるのか? 自分がそんな簡単に変わるわけないよな、と
か思いませんか?
評価軸をたくさんもたなあかん、のではなく、評価軸自体が変ってしまうパ
ラダイムシフトのときに、いまはあるのではないか、ってのは考えすぎかな。
ネットワークの普及は社会に対して、それほどの影響があるとおもいます。
*
逆に(自分からみて)へんな子供やな、と思える子供に尊重してもらえる人間
に自分はなれるんかいな?とも思います。嫌われたほうがうれしい。
歳をおめしになった人からみると、わたしもへんなふう見えるんだろうな。
「なんだこのへんなやつは」とか思われているかも。
# のぞむところです。
人と人の付き合いはずっと存在するでしょうけど、付き合い方は、いままで
とは違った作法になる、その変化の時期だからこそ、人と人との付き合いを難
しく感じる人がいて、問題もおこるのかな、とかいろいろ考えてみました。
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